本文へスキップ
mie
CHAPTER 08

海士町の輸血経済地方財政の構造

ここまでで、ノンビリムラのミクロな話と、その背後にある「身体性を伴う感動の枯渇」「森と海の連鎖」を見てきました。

ここから視野を広げて、ノンビリムラのような場所が日本の地方の構造の中でどういう意味を持ちうるかを考えます。

最初に、地方創生の優等生として知られる島根県・海士町を取り上げます。一見うまくいっているように見える町でも、財政の中身を覗くと厳しい構造が見える。優等生でこうなら、他の自治体はもっと厳しい、という話の出発点にしたいからです。

日本の地方は、なぜしんどいのか

日本の地方が抱える問題は、もう何度も語られてきました。人口減少、若者流出、空き家、耕作放棄地、自治体の財政難、産業の衰退──キーワードは尽きません。

でも、これらを「個別の問題」として扱うのではなく、根っこにある構造を見ようとしたとき、私は安宅和人さんたちの「風の谷」プロジェクトの議論から、すごく多くを学びました。

その中で示されている図の一つに、「海士町のP/L(損益計算書)」というものがあります。海士町は島根県の隠岐諸島にある人口約2,200人の町で、地方創生の成功事例としてよく取り上げられる自治体です。

海士町という優等生の財政

2021年(令和3年)の海士町一般会計予算は59.2億円。その内訳をみると:

  • 自主財源:7.3億円 (うち税収はわずか2.2億円)
  • 地方交付税:28.6億円
  • 国庫支出金:7.1億円
  • 県支出金:3.3億円
  • その他依存財源:2.9億円
  • 町債:10.0億円

つまり、年間予算59億円のうち、自分で稼いでいるのは7.3億円(12.3%)だけ。残りの約87%は、国・県からの輸血と借金で埋めています。

これを企業会計に翻訳すると、「100万円の経費を使っている事業で、自分の売上は12万円。残りの88万円は親会社からの輸血と未来からの借金で埋めている」状態。ものすごく赤字な事業構造です。

ここで重要なのは、海士町は地方創生の優等生として知られている自治体だということ。海外からも視察が来る。Iターン移住者も多い。地域ブランドも確立している。その海士町ですら、自主財源12.3%。ということは、海士町よりも知名度や活気が低い、全国の数千の市町村は、もっと厳しい財政構造になっているはずです。

国も借金で動いている

地方自治体全体で見ると、地方債残高は約138兆円。これは未来世代に対する借金です。そして、第2章で書いた通り、国全体の借金は1,267兆円。GDP比248.7%で世界一の借金大国。

つまり、地方は国から輸血されているけど、国も借金で運営している、という構造。安宅さんたちはこれを「現在の疎空間で起きている負のスパイラル」と呼んでいます。

地方12.3%→国の年間赤字▲55兆円→未来世代への借金1,267兆円

ここで本当にしんどい事実があります。輸血元である国の財政も、借金で支えられている。国は税収だけでは社会保障費を賄えず、毎年55兆円の赤字を国債で埋めています。社会保障給付費140.7兆円のうち、保険料収入は82.2兆円しかない。

これは、たとえて言うなら、親会社(国)が借金で子会社(地方)を支えているような状態です。親会社の借金がある日、限界に達したら、子会社への輸血も止まる。そのとき、自主財源12.3%の自治体は、どうなるのか。これは仮定の話ではなく、たぶん、いつか必ず来る現実です。

ミニ都市化と一人当たりコスト

「都市を目指す現在の疎空間」という言葉が示しているのは、今の地方創生のほとんどが、「ミニ都市を作ろうとしている」ということです。

駅前再開発、道の駅整備、観光地化、商業施設誘致、IT企業のサテライトオフィス誘致、移住促進キャンペーン──これらは全部、「都市的な機能をミニサイズで地方に作る」発想です。

でも、ここに大きな矛盾があります。

全自治体が大都市を目指したところで、全自治体が大都市になれるはずがない。人口が減る中で、全国1,700の自治体が、それぞれ駅前再開発をしてミニ都市化を目指す。当然、ほとんどがうまくいかない。その結果、全国の基礎自治体の約50%が、消滅可能性都市として予測されています。

経済合理性の話をすると、人口密度が低いほど、一人当たりのインフラコストは高くなります。道路、上下水道、電気、ガス、通信、医療、教育──こういう公共インフラを維持するのに、人口が少ないと住民一人あたりの負担が増える。逆に、人口が集積している大都市は一人当たりのインフラコストが安い。

つまり、経済合理性だけで考えれば、人口は都市に集中するのが正解、という結論になります。地方創生の議論では、この身も蓋もない経済合理性を、しばしば無視してきた気がします。

ここで、第4章の「身体性」の話と接続したい。ミニ都市化を追いかけている自治体は、都市にしかない価値(集積、効率、便利さ)を目指しながら、本来自分の手元にあった「身体性を伴う感動の宝庫」を意識から外している。それは経済合理性の負け戦であると同時に、自分の強みを捨てる戦略でもある。

お金が動くのは開発時だけ

国の予算配分の中で、「土木」と「農林」がどう扱われているか。

国土交通省の予算は年間約7兆円、その大部分は道路、ダム、河川改修、新幹線などハード系の建設事業に。農林水産省の予算は年間約2.3兆円。「土木」と「農林」では、予算規模が約3倍違う。

そして土木予算の大部分は「新しいものを作る」ことに使われ、メンテナンスや既存インフラの維持には、相対的に少ない予算しか回っていません。これは、「日本では、お金が動くのは『開発』のときだけ」という、第7章で書いた構造そのものです。

森を健全に保つことには、ほとんどお金が回らない。里山を維持することにも、ほとんどお金が回らない。広葉樹を植えることにも、ほとんどお金が回らない。ビオトープを作ることにも、ほとんどお金が回らない。

お金の流れと、生態系の劣化は、繋がっている

ここまで書いてきて、私が伝えたいことが、見えてきます。

お金の流れと、生態系の劣化は、別の問題ではなく、繋がった一つの構造です。

開発時にしかお金が動かない構造があるから、メンテナンスが行われない。メンテナンスが行われないから、生態系が劣化する。生態系が劣化するから、地域の魅力も失われる。地域の魅力が失われると、人が出ていく。

このループが、何十年も続いてきた。そして、これにミニ都市化への画一的な投資が加わると、「身体性を伴う感動の宝庫」だった里山と田園が、急速に消費されていく。

このループを断ち切るためには、「開発以外のところに、お金と人が回る仕組み」を作る必要があります。これは行政だけでできる仕事ではありません。NPOだけでもできない。企業だけでもできない。

このループを断ち切るには、もう一段、踏み込んだ視点が要ります。次章で、「自立」という概念を整理してから、久山町という具体的な町を扱います。

お問い合わせ、
ご相談はこちら