共同体の健康状態お金で測れないものを、できる範囲で測る
前章では、久山町を「お金」という指標から長期分析しました。歳入・歳出・基金、追い風が止まる10年。数字で測れる町の現状です。
ただ、町は数字だけで成り立っているわけではありません。住民が「ここは自分たちの場所だ」と思えるかどうか、共同体が機能しているかどうか──こうした側面は、財政分析では見えてこない。けれど、町の意思決定の質を、最終的には決めているものです。
この章では、お金では測れないものを、できるだけ具体的な事実から見ていきます。過去に久山町が経験した道の駅事業の断念。20年遅れて始まる中学校給食。自治会加入率という数字。「pride in place」という海外の概念。そして、地区祭りに残された機能。

道の駅、断念の経験
実は久山町は、過去に道の駅を本気で計画したことがあります。平成26〜28年(2014-2016)の「久山道の駅・食のひろば事業」です。総事業費は約8.1億円、町の負担は約3.95億円。国の交付決定を受け、用地を購入し、運営会社(株式会社食のひろば)の設立まで進めました。しかし、議会の対立や県とのトラブル、住民の反対が重なり、平成28年3月の議会で断念。交付決定後の中止は異例で、国庫補助金の返還にまで至りました。
この断念から学べることは、はっきりしています。ハコ(施設)が先で、住民の納得が後回しだった、ということです。
福岡市から久山町を経由して宗像方面へ抜ける車の流れがあること、町の杉で建てた施設が観光資源としても農産物販売の拠点としても、福岡市マーケットへの供給拠点としても機能しうること──この可能性自体は、今も変わっていません。問われるのは、住民が「これは自分たちの場所だ」と納得できるかどうか。そして、納得の先にもう一段ある。住民一人ひとりが、自分たちの町に誇りを持ち、「ここをどうしていきたいか、どうしていくべきか」という意見を持ち、それを議論できるかどうか。そこが満たされて初めて、施設は意味を持ちます。
優先順位の事例 ── 中学校給食、20年の遅れ
道の駅が「住民の納得」を置き去りにした失敗だとすれば、もうひとつ、町の優先順位が現実にどう実装されてきたかを、はっきり映す事例があります。中学校給食です。
久山町の中学校には、長いあいだ完全給食がありませんでした。これまでの昼食は「選択制」で、生徒全員に配られるのは牛乳のみ。あとは家庭から弁当を持参するか、業者の宅配弁当を注文するかです。福岡県の60市町村のうち、中学校に完全給食がないのは5町だけで、久山町はそのひとつ。残りの54自治体は、すでに完全給食を実施していました。
それが令和8年度(2026年度)、ようやく始まります。令和8年3月定例会で、9月からの導入予算(学校給食配食委託費1,168万円・消耗品費401万円)が賛成多数で可決されました。弁当の単価は約660円と試算されていますが、町が助成し、保護者の負担は牛乳代を含めて一食300円です。約20年越しの前進ですが、出遅れは否めません。お隣の福岡市では、小学校も中学校も給食費が無料です。
方式は、町内調理ではなく、現行のランチサービス(業者の宅配弁当)を全生徒に提供する弁当式に決まりました。牛乳を含めて全員に提供するため、学校給食法上の「完全給食」にあたります。令和7年12月の議会で、議員が「厨房施設の要らないデリバリー方式での全員給食」を提案し、教育長が「検討できる」と答えた流れの延長線上です。一方、久原・山田の両小学校は平成14年から「自校式」で、20年以上、作りたての給食を大きな事故もなく出してきました。小学生は校内の作りたて、中学生は外部からの搬入。小学校でできていることを、中学校でもやれないか──素朴にそう思います。
ここで第8章の「輸血構造」が、また顔を出します。久山中学校の毎日330食あまりを町外の事業者に丸ごと委ねれば、給食費は町の外へ流れ出ていく。子どものインフラのお金が、地域経済を素通りするのです。完全な町内調達は難しくても、食材だけでも久山産(米・野菜・卵・肉用牛、町長が構想する加工所)を指定すれば、給食は「輸血」ではなく「循環」の起点になります。同じ一食でも、お金の流れる先がまるで違います。これは外野の理想論ではありません。導入を審査した町議会の総務文教常任委員会自身が、継続調査の注視点として「地産地消を推進し、生徒の食育および農業振興にも寄与すること」を明記しています(議会だより101号)。お金を町内で循環させるという方向は、町の意思決定の現場が、すでに同じほうを向いているのです。
全員制給食の検討は、平成23年に委員会が調査研究を始めてから、長く結論が出ませんでした。直近の令和7年2月にも導入を求める陳情書が出されましたが、6月議会で全員一致の不採択。つい半年前まで、議会はむしろ慎重だったのです。それが12月議会での議員提案と教育長の前向きな答弁で、ようやく流れが動きました。
踏み込まなかった理由を、教育長は議会で、食物アレルギーへの対応、多様な家庭環境への配慮、財政面などと説明してきました。ただ、最大の懸念とされたアレルギーについては、同じ町の小学校で卵の除去給食を現に実施できています。町内で既にできていることが、十数年も「できない理由」として通用し続けた──正直、この議論の質には、学校教育全般に通じる心配を感じます。
そして核心はここです。町は同じ時期に、大人向けの観光交流拠点(首羅山遺跡ガイダンス施設、整備費約3億7,600万円。うち令和8年度当初予算の整備工事費3億3,108万円は可決済み)に投資しています。基金残高は令和6年度で26.7億円、決算は毎年黒字。つまり完全給食は「お金がないからできない」話ではありませんでした。検討から実現まで15年かかり、外注という形に落ち着いた──その判断を分けた価値観の基準は何だったのか。現役議員や町長の言葉を、ぜひ聞いてみたいところです。
給食には、セーフティネットの側面もあります(学校給食は1889年、山形県で貧しい子への昼食支給から始まりました)。同じ福岡都市圏の大野城市でも中学校は選択制で、全員制給食を求める署名が市民から続いています──2020年に3,516筆が市長へ、2025年には7,951筆が教育委員会へ。
久山町は「健康と食」を半世紀のアイデンティティにしてきた町です。九州大学との久山町研究で町民の健康を60年以上追い、茅乃舎ブランド(久原本家)を生んだ。その町の給食が、もし久山産の食材でできていれば、子どもは「自分の食べているものがどこから来たのか」を、毎日、身体で知ることになります。何をどう食べるかは、ただ生きることの根っこにある喜び。給食は、その喜びを町ぐるみで子どもに手渡せる、数少ない仕組みです。
ただ、正直に書いておきます。中学校に給食を、という声が上がってから十数年かかりました。この調子だと、「久山産の食材で、町の中をお金と食べ物が循環する給食」という本当に価値のある段階に届くのは、さらにその先──三十年後なのかもしれません。
3軒に1軒が、自治会に加入していない町
道の駅も給食も、「町が何を優先してきたか」を映す出来事でした。では、共同体そのものの健康は、どう測れるのか。新しい調査事業を立ち上げる必要のない、既存の数字で観測できる指標があります。
もっとも分かりやすいのが、行政区の組合加入率です。久山町は2023年時点で町全体67.6%。地区差は大きく、猪野は80%を超え、上久原は40.5%まで落ちています。これは町から県への届出として毎年集計されており、追加の調査コストなしに継続観測できます。
この数字を、糟屋郡近隣の自治体と並べると、久山町の特異性が浮かびます。那珂川市85%、岡垣町83.8%、粕屋町約83%、遠賀町83%、宇美町78%。全国平均は2020年時点で71.7%。そのなかで、久山町は67.6%です。健康と教育で全国的に知られる町なのに、自治会加入率という別の角度から見ると、近隣の同規模町より10ポイントから17ポイント低い。3軒に1軒が自治会に加入していない、という事実です。
なぜ、これだけ小さな町で、加入率がこれほど低いのか。素朴な感覚では、小さい町ほど顔の見える関係が残り、加入率は高くなるはずです。実際、近隣6町はその直感通り、人口規模に対して8割前後を維持しています。久山町だけがその直感を裏切る位置にいる。仮説のひとつは、人口の急増です。久山町は直近5年で人口が約10.4%増えており、その伸び率は全国の市町村で10位。福岡市中心部まで約10kmという立地、そして福岡市の住宅価格高騰を背景に、ベッドタウン的に選ばれている側面があります。新住民は古くからの自治会と接点を持ちにくく、加入しないまま住み続ける──全国の郊外でよく観察される、お馴染みのパターンです。実際、総務省の調査でも、全国の自治会加入率は2010年の78.0%から2020年の71.7%へと10年で6.3ポイント下がっており、その主な要因として、新興住宅地や集合住宅での未加入、そして転入者・若年層が加入のメリットを感じにくいことが挙げられています(総務省「地域コミュニティに関する研究会」報告書、2022年)。久山町で起きていることは、この全国的な現象の、人口急増という形での先鋭化だと見ることができます。
地区差(猪野80%超 vs 上久原40.5%)も、この仮説を裏づけます。歴史的な集落として共同体が残っている地区は高水準を保ち、新興住宅地は低い。久山町の自治会加入率は、町全体の平均値というよりも、「どの地区に新しい住民が入っているか」を映すサインに近い。これは第10章で書いた『攻めの遺産が、ミニ都市化リスクへと変質しつつある』という現象が、社会指標の側からも見えている、ということです。
これは数字としてはっきり言ってしまえば、共同体が3割欠けている、ということです。あとで見るように、祭りが「自分たちの場所」を確認する装置だとすれば、その前提となる共同体は、すでにそこまで痩せている。健康な町という見える顔と、自治の土台という実態のあいだに、もうひとつの数字がある。
重要なのは、これが新規事業を立ち上げなくても観測できる、ということ。指標化のために予算を投じる必要がないというのは、行政の関与を最小化するという原則と整合します。指標があると、個々人の感情論を超えて、客観的な評価を元に、みんなで町の現状や今後について、解釈と合意形成ができやすくなるはずです。
pride in place ── 場所への誇り
こうした「共同体の健康」を、海外ではどう捉えているか。英国では2022年以降、「pride in place(場所への誇り)」という言葉で、地域への誇りを地域政策の中核に据える動きが進んでいます。ケンブリッジ大学のベネット公共政策研究所が出した報告書 Townscapes: Pride in Place は、誇りとは玄関の花かごを飾るような表面的な美化ではなく、「住民が地域に対する自信を持ち、課題があってもなお『ここを良くしたい』と立ち上がる態度」のことだと整理しています。そして誇りを高めるには、「短期の見栄え修正ではなく、自治体が住民との関わり方そのものを変える必要がある」と結論づけている。住民が、自分の意見を持ち、議論し、決定に関与する──これが、ハコより前にあるべき土台です。
祭り ── 土台を担ってきた装置
この「場所への誇り」を、歴史的に育ててきた装置が、祭りでした。
久山町には、中久原祇園祭(7月、須賀神社)、上山田盆綱引き(8月15日、お盆)、下山田の五穀神社奉納相撲大会(9月)、伊野天照皇大神宮春季大祭(4月、猪野)、上久原白山神社獅子舞(年越し)──といった地区単位・神社単位の祭りが、今も残っています。全国的に見ると、地区祭りが集落の手で残っていること自体が希少になっており、構造的にひとつの財産です。
民俗学では、祭りは内/外の二つの機能を持つ装置だと整理されてきました。柳田國男以降の「ハレとケ」は、日常(ケ)が枯れる(気枯れる)のを共同体で取り戻す「ハレ」の場として、祭りを位置づけました。折口信夫の「マレビト(稀人)」論は、外から訪れる客を歓待することで、自分たちの地域を「外」との関係のなかで再定義する契機を、祭りに見出しています。内に向けては共同体の再確認、外に向けては地域の相対化──この二つを同時に行う、文化的に効率のよい装置だったわけです。
ただし、2010年前後の暴力団排除条例の整備を機に、全国の祭りの運営主体は、共同体・テキヤ(露店商)から、自治体・商工会・イベント企画会社・キッチンカー事業者へと、一世代の間に大規模に移行しました。条例自体は反社会的勢力の排除という公益目的で、是非を論じる話ではありません。ただ結果として、祭りの目的は「コモンズの再確認と外との接続」から「住民サービスとしての楽しい場の提供」へ重心が移ったのは事実です。久山町の「祭りひさやま」が1993年から行政主導で始まり、町全体の祭りとして定着しているのも、この流れの中にあります。
形が残っていることと、機能が生きていることは、別の話です。祭りに人が集まっているか、ではなく、祭りを通じて何が共有されているか。住民自身が、自分たちの祭りに問うべき問いです。
この章のまとめ
ここまで見てきた、久山町の共同体の健康状態を並べてみます。
- 道の駅における、合意形成の失敗
- 給食に関する、検討・議論の長期停滞
- 給食よりも、歴史観光施設の開発に積極的な行政の態度
- 周辺地域で最低レベルの、自治会の加入率
これらの事実は、pride in placeが醸成されていない、と解釈できます。町内で祭りの開催数が多いことと、一見矛盾する。けれど、共同体は、実は不健康な状態にあるのかもしれない──そんな気づきがあります。
もちろん、共同体の健康が、祭りだけに左右されるわけではありません。それでも、いま一度、祭りが持っていた2つの機能(内に向けた共同体の再確認、外に向けた地域の相対化)を振り返り、この文化を守っていく必要があるのかもしれません。
診断から、次の一手へ
ここまで、ノンビリムラの成果と喜びに始まり、時代の解釈、ハッピーになるための学術知見、マクロデータに基づく共同体の健康具合、を記してきました。
人も国も、「幸せの自覚」「健康の自覚」があるかどうかが、共通して重要ではないかと感じました。
不調であることを自覚できれば、気分が優れない時こそ、能動的に太陽を浴び、鳥を眺め、回復しやすくなるかもしれません。
一方で、自治体は、経常収支率が衰え、衰退フェーズであることを自覚できれば、事業構成を見直し、理想の自給と外貨調達のバランス、残すに値すべき未来を目指し、新たな戦略をとるかもしれません。日々、調子を観測し、リアルタイムにファインチューニングを行うことで人も町もご機嫌。
この記事はある意味、健康診断的な記事だったと思います。こういう情報が優れたデザインで加工され、誰でも、いつでも住民が容易にアクセスできれば、議会制民主主義がフル回転し、まちの底力が発揮されるのではないか、そんな計画をこの記事を節目に、次に取り組んでいけたらと思います。
次の章では、政策提案を行います。給食も本来コミットすべき案件ですが、せっかくなので、別の角度から、4つの提案をしていきたいと思います。